冠婚葬祭の一九七〇〜八〇年代は、儀式がさらにショー化する一方で、それへの疑問が出はじめた、そんな時代だったといえるだろう。ウーマンリブが結婚制度に異議を唱えたのは七〇年代の初頭。「結婚しない女」や「女の自立」が女性誌上をにぎわわせたのは七〇年代の後半。必ずしなくてはいけないものから、してもしなくてもいいものへと人々の結婚観が徐々に変化し、戦後上がりつづけてきた専業主婦率は、一九七五年、ついに減少に転じる。このへんから晩婚化にも拍車がかかりはじめた。当時の若者たちのアンビバレントな結婚観は、ヒットソングの歌詞にもあらわれているように思われる。「約束どおり町の教会で結婚しようよ」(吉田拓郎作詞「結婚しようよ」一九七二年)、「森の小さな教会で結婚式をあげました」(さいとう大三作詞「てんとう虫のサンバ」一九七三年)と盛り上がっているカップルがいるかと思えば、「三畳一間の小さな下宿」でくすぶっていたり(喜多条忠作詞「神田川」一九七三年)、「二人はいつも傷つけあって暮らし」ている同棲カップルあり(上村一夫作詞「同棲時代」一九七三年)。
会葬者には、会葬に対するお礼の挨拶を書いた会葬礼状を出します。正式には葬儀後一両日中に郵送するものですが、現在では告別式のあと、会場の出口で手渡すのが一般的です。その場合は清めの塩と、供養の品として白ハンカチや不祝儀用の菓子などを添えることが多いようです。礼状は黒や薄墨で枠をとったはがきに印刷をします。最近は通夜でも会葬礼状を出すことがありますが、その場合は「弔問御礼」として別に印刷をするのが望ましいものです。会葬礼状を郵送する場合、年始にかかりそうなときは、松の内を過ぎてから届くように配慮して発送します。葬儀・告別式が終わっても、まだ挨拶回りや事務的な手続きがいろいろとあるのでのんびりしていられません。また、仏式では死亡した日から7日ごとに法要がありますし、これらは省略しても、四十九日には忌明けの法要を営んで埋葬をし、香典返しをします。お墓や仏壇の購入についても考えておかなくてはなりません。遺族はまだ悲しみにくれている時期ではありますが、故人を無事に弔うために力を尽くしましょう。その後は命日に年忌法要を行います。仏式では盆や彼岸もありますので、それらの墓参りの作法も心得ておきましょう。
最近は和食をテーブル席でいただくことも多くなり、よほどの場合でなければ、和室で初対面の相手にあいさつをするということも少なくなったが、まず覚えておきたいのは、和室でのあいさつは立ってしない、ということだ。ふすまの開け方は正面に座り、引き手に近いほうの手をかけて5〜10cmほど開け、その手がかり(開いたところ)に手を移す。このとき手をかけるのは畳から24cmほど上の端。自分の身体の中央ぐらいまで開けたら、もう片方の手も添えて、最後の10cmほど残して開ける。そこで座ったままあいさつして、ひざで前進して室内に入り、閉めるときは、完全に相手に背中を向けないように身体を斜めにして、開けたときと反対の手順で。座布団にはすすめられるまで座らず、正式なあいさつは、座布団の脇に正座して述べ、そのあとで手みやげを渡す。